chicchikichiの日記

私が今まで旅した思い出を書き綴っています。

東ドイツ ドレスデンからプラハへ

ドレスデンにも行きました。

ドレスデンの町並みは重厚な感じでした。

ただ、私が訪れた時は建物はすすけていて、

ちょっと薄汚れた感じでした。

 

石炭を焚いていたからだと聞きました。

 

ツヴィンガー城は広くて、見て回って疲れました。

展示してあるケースの上に、右腕を置いていたら

お城の案内員のような女性に、腕をはねのけられました!

 

その夜、希望者はオペラ観劇に行きましたが、

私は飛行機の疲れでひたすらホテルで休んでいました。

 

そして国際列車でチェコプラハに着きました。

国境を列車で通過するのは初めてです。

国境のあたりで、パスポートチェックのため係員が乗り込んできました。

夜だったのですが、この列車、電気がついているのかいないのか

わからないほど薄暗い。

パスポートチェックのため、

係員が明かりをもっと強くしようと思って紐を引いたが

かえって薄暗くなってしまって苦笑いしてました。

 

国境を越えた印として、列車のマークが私のパスポートに押されています。

 

プラハに着いたのは、12月31日。

大晦日です。

日本での年越ししか経験のない私は、プラハでの年越しが楽しみでした。

プラハのホテルは、エスプラナーデ。

中央駅から徒歩5分くらいのところです。

 

当時は日本人が珍しいらしく、駅からホテルまでの5分の間に

何人もの人が我々一行を振り返ったり、じ~っと見たりしていました。

 

東ドイツの旅の思い出

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モスクワから飛行機に乗って当時の東ベルリンに到着。

ベルリンではペルガモン博物館がとてもよかったです!

世界遺産になっているんですね。

当時は知る由もなかったです。

 

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ゼウスの祭壇は博物館の目玉のひとつだそうです。

古代ヘレニズム期のペルガモン王国の祭壇です。

ギリシャの神々と巨人たちとの戦いがテーマですが、とにかく大きい!

でもこれで実際の1/3というのだから、すごかったです。

 

もう一つの目玉がイラクから持ってきたという、イシュタール門。

古代バビロニアの青の彩袖レンガの壁に想像上の生き物が書かれています。

門ですから大きいのですが、これを持ってきたドイツにもびっくりしました。

 

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博物館の作りが、「さすがドイツ」という感じで重厚感があります。

そのあとは、ポツダムへ。

サンスーシ宮殿は、フランス語で「何も悩むことはない」という意味だそうです。

ロココ調のきれいな宮殿でした。

 

ワイマールにも立ち寄りました。

私は旅行の直前に映画「ローザ・ルクセンブルク」を見ていたので、

彼女とおなじ街にいることがちょっと感慨深かったです。

 

マイセンにも立ち寄りました。

マイセンの陶器を売っている、マイセンギフトショップがありました。

金額を見てびっくりしたのですが、日本に帰って日本での売値を知って

もっとびっくりしました!

 

 

初めての東ヨーロッパ

成田空港から旅行会社のチャーター便で、インターフルークでした。

この会社は1991年東西ドイツ統一に伴って営業は終了しました。

 

飛行機に搭乗する時には、機内乗務員が入り口でチケットを見ながら、

「もっと先」とか「すぐ右」とか教えてくれますよね。

でもインターフルークは、女性の乗務員から

「フリーチケット」と言われた記憶があります。

フリーチケット?!

自由席?!

びっくりしましたが、本当でした。

 

私が座った前の席には、非番の乗務員が座って、最初は制服だったのに

飛行機が飛び立ったら、ジャージに着替えていたのを覚えています。

 

機内で配られたアメニティは機内用靴下、コットンなどがありました。

食事はまずかった記憶がないので、それなりの味だったのでしょうね。

 

旅の思い出を書こうとしたら

今まで旅した国のことを書こうとして、

行った年代順に思い出そうとしたのですが、

頭がぐちゃぐちゃになってしまいました。

 

思い出した順に書こうと思います。

 

初めてヨーロッパに行ったのは、今から20数年前。

東ヨーロッパ5か国周遊でした。

旅行会社がチャーターした飛行機でモスクワに行き、

そこから当時の東ドイツやルーマニアなどに分かれていったのです。

 

旅行に申し込んだときは予想だにしていなかった、

ベルリンの壁が崩れてしまいました!(東欧革命)

そしてルーマニアでは当時の独裁者チャウシェスク夫妻が

クリスマスに処刑された関係か、

ホテルが予約されていないということで、

添乗員の方が焦っていたのを覚えています。

 

モスクワに着いたはいいが、真夜中、しかも空港内のとある場所から動いていては

いけないらしく、銃を持った警官が次の飛行機に移るまでそばにいました。

しかし、真夜中でもモスクワの免税店はやってましたね~

当時の私は、外国製ということだけで珍しい商品だと

ワクワクしていました。

 

 

 

アジアにはまる

1週間のアジア周遊ツアーの後、

しばらくはアジアばかり旅行していました。

 

ヨーロッパに行きたいと思っていても、長時間の飛行に躊躇していました。

それに旅費がヨーロッパはそれなりにするので、

なかなか費用がたまらなかったのです。

 

韓国には11月に行きました。

2泊3日で19,800円という格安ツアーを見つけて、当時の同僚と行きました。

韓国に行ったら、冷麺を食べたかったので

ホテルの方オススメの韓国レストランをおしえてもらって

勇んでいきました。

 

そして「冷麺」を注文したら、「冷麺?」

(この寒いのに?)と言わんばかりの雰囲気でした。

11月のソウル、さすがに寒かったです。

 

道端に白菜が積み上げられていて、家庭でのキムチ作りが始まるのね と思いました。

今から20数年前の韓国を旅していたら、日本語を話す中年の女性から

「日本人? 街を案内しましょうか?」と言われました。

 

今はどうなんでしょうか?

当時はのんびりしていました。

 

 

 

タイに行ったのを思い出した

マレーシアの後に、シンガポールに行きました。

季節は8月の後半で、シンガポールのガイドさんはよほど忙しかったようで

かなりお疲れでした。

 

シンガポールは赤道直下なので、いつも夏です。

アジア特有の湿気が多い暑さです。

マーライオンは世界3大がっかりのひとつで、

やはりちょっと残念でした。

ちなみにあと2つは、デンマークコペンハーゲンの人魚姫、

ベルギーブリュッセルの小便小僧です。

 

ただ、果物は新鮮でおいしかったです。

記事を書いている途中で思い出したのですが、

マレーシアの前にタイに行きました。

タイは道路が混んでいたのにびっくりしました。

ちっとも動かないのです!

タイの現地ガイドの方が、両替のお金を持ってきていたのですが

ツアーの誰も両替しなかったのです。

ちょっとガイドさんが可愛そうでした。

 

タイの夜は舞踏付きのディナーショーでした。

踊りの方の手がくねくね曲がって、動くのが私はすごく不思議でした。

タイで初めて、ものすごく辛い青唐辛子があることを知りました。

ツアーの参加者の皆さんも苦手のようでした。

 

最近はパクチーが人気らしいですが、私はどうもパクチーは苦手です。

あの味は生理的にダメなようです。

 

 

そしてマレーシア

香港では夜、水上レストランい行きました。

(JUMBOというネオンの付いたレストランです)

メニューでは大きなカニが描かれていたのに、実際の料理は

ほぐした状態で、あまりカニの存在を確認できませんでした。

 

私たち一行が水上レストランに行くフェリーを待っていると、

同じように待っていた中国人のご一行の一人が、

飲み終えた紙パックをそのまま、てやっという感じで

平然と投げ捨てていました。

 

この旅行で年配のご夫婦と仲良くなりました。

旦那様は五加皮酒という40度のお酒を召し上がっていました。

40度なのに薬酒なのか、口当たりがよく飲みやすいと言ってました。

ただ、独特のにおいを覚えています。

 

 

香港の次にマレーシアに行きました。

首都のクアラルンプールは、予想よりも広々とした

緑あふれる街でした。

 

ただ、滞在時間が少なかったのか、あまり記憶に残っていません。

香港のように、「これだ!」と言える観光名所が少ないからかもしれません。

 

夏だったのに、あまり暑いと感じませんでした。

お料理は、ニョンニャ料理とか食べました。