chicchikichiの日記

私が今まで旅した思い出を書き綴っています。

ハンガリーのお土産

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ハンガリーは東欧の中でも一番と言っていいほど西洋化されています。

それまで旅で巡ってきた街よりも車の数は多かったです。

街並みは中世的できれいですが、衛星放送のアンテナがあったりして

微妙な違和感がたまりませんでした。

 

東欧の名物の一つに刺繍があります。

ハンガリーのカロチャ刺繍は素朴ですが、とてもきれいです。

20年ほど前に買った、刺繍が施された小物入れは今も現役で

色あせることなく活躍してくれます。

 

その後、念願かなってクロアチアを旅することがありましたが、

やはりお土産は刺繍が施されてテーブルクロスでした。

本当はハンガリーで、刺繍が入ったブラウスがほしかったのですが

それなりの値段(当時で1万円くらい)がしたので、あきらめました。

今でも、やはり買っておくべきだったのかな?と思うことがあります。

 

ハンガリーのお土産としては、トカイワインがあります。

ドイツで飲んだ貴腐ワインはものすごく甘いのですが、

おいしかったです。

トカイワインもすごくおいしかったですよ。

 

そのほかには、有名な「ヘレンド」という陶器があります。

私も少しだけ買ってきました。

 

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ハンガリー・ブタペストへ

ハンガリーの首都ブタペストはきれいな街でした。

王宮の丘、漁夫の砦、聖マーチャーシュ教会など、

中世の街並みが残る、すごく雰囲気のある街でした。

さすが、「東欧のパリ」「ドナウの真珠」と言われます。

 

ドナウ川を挟んで、西岸のブダと東岸のペストが合併してブダペスト

エリザベートが愛した街ですね。

シシィと呼ばれ、今もハンガリーの人々に愛されていると言われます。

 

ハンガリーは東欧の中では一番西洋化が進んでいると言わていました。

東欧を旅行中に、どこの都市か忘れてしまったのですが、

私が参加したツアーの一人の方が、街中の両替商を使ってみたのです。

米ドルの為替レートが空港と同じかどうか、を試すために。

 

結果的にはさほど変わらなかったのですが、

それを見ていた通りすがりの女性が、

「あたしの(たばこの)マルボロとドルと交換してくれない?」と言ってきました。

それも、吸いかけのマルボロと!!

ドルがほしいのですね。

 

当時は一度現地の通貨に両替したら、再両替ができなかったのです。

それを忘れていた私は、両替してくれる同じツアーの方を探して

ブダペストのリスト・フェレンツ空港内を走り回りました。。。

お土産に何を買ったか、覚えていません。

ただ、ただ、ひたすら走って疲れました。。。。

 

 

 

 

チェコスロバキア

今でこそ、チョコ共和国とスロバキア共和国になってしまいましたが、

当時はチェコスロバキア社会主義共和国でした。

1992年12月31日で解消されました。

 

言葉も民族も違うのですから、仕方ないですよね。

スロバキアで見かける女性はきれいな人ばかりでした。

美人が多い国なのね、と感じました。

 

スロバキアの首都はブラチスラヴァです。

チェコの歴史的な建物のある街の雰囲気と異なり、

ブラチスラヴァは地味な感じの街でした。

 

プラハの旧市庁舎の天文時計のような名物ともいえるものが皆無に等しいのです。

プラハの天文時計は、1時間ごとに違う人形が出てくるからくり時計です。

私も大勢の人に混ざって、ワクワクしながら人形が出てくるのを待ちました。

私にとって、初めてと言えるからくり人形は

とても素敵で、すごく印象深いものでした。 

 

 

プラハのレストランで

食事のために入ったプラハのレストランに、日本語を話す店員さんがいました。

彼は大阪万博の時にチェコ館で働いるときに少し日本語を覚えたそうで、

「お~水持ってきますね~」と陽気に話していました。

懐かしい思い出ですね。

 

私が旅行のたびに食事の写真を撮るようになったのは、

この旅行が原因だったのかもしれません。

旅行中の食事は、あとで見るととても思い出深いものです。

 

でもこの東欧旅行の時の食事の記憶が全然ないのは

なぜなのか、わからないです。

 

東ドイツと言えば

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ベルリンではブランデンブルグ門も観光しました。

私が言った当時は、見張りの警官のような人がいたので、

隙を見て、わっと走って行って写真を撮った記憶があります。

 

ブランデンブルグ門、かっこいいですよね。

ガイドの東ドイツ人の方は、「東西ドイツの統合はまだまだ先だろう」と

言ってましたが、あっという間に統合されてしまいましたね。

 

東ドイツではトラバントという車をみました。

「ボディーが段ボールでできている」という噂でしたが、

本当は繊維強化プラスチック製でした。

でも、見た目は本当にかわいらしいんですよ。

今ではもう見ることはできませんが。

プラハ観光

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プラハは中世の雰囲気が残る街です。

見どころはいっぱいあります!

 

カレル橋はヴルタヴァ(ドナウ)川にかかる、プラハ城へと続く重要な道として

14世紀につくられました。

カレル橋の真ん中あたりに、歴史上の人物であるヤン・ネポンツキーの像があります。

その下にレリーフに触ると幸せが訪れると言われています。

私ももちろん、触ってきました。

 

私はスメタナの「モルダウ」が大好きで、本物のドナウ川を見ていると

モルダウ」が頭の中で奏でられていました。

すごく幸せな時を過ごせました。

 

また、私はアルフォンス・マリア・ミュシャも大好きで

ミュシャチェコを愛してやまなかった理由がわかるような気がしました。

ただ、私がチェコを訪れたのは、ミュシャ美術館ができる前だったのが

残念でした。

 

プラハは、カフカの出身地としても知られています。

旧市街地周辺にはカフカの足跡をあちこちで見ることができます。

プラハ城内黄金小路22番地の小さな青い家は特に有名です。

 

今ならミュシャの美術館を見るために行きたいなぁと思います。

 

 

 

1989年12月31日

ベルリンの壁が崩れた1989年の大みそか、プラハのヴァーツラフ広場で

私たち旅の一行は年が明けるのを待っていました。

チェコではビロード革命と呼ばれた民主化革命でもチェコの人々はこの広場に

集まって、「ハヴェルを城へ」と叫んでいたそうです。

ハヴェルはチェコスロバキアの大統領になった、ヴァーツラフ・ハヴェルのことです。

 

広場に集まった人々はお酒を口にしながら、にこやかな表情でした。

そして1990年を迎えた瞬間、怒号にも似た新年のメッセージがあちこちで飛び交い、

エネルギー爆発!!って感じでした。

 

初めての海外での年越し。

私はびっくりするとともに喜びで一杯でした。

 

エスプラナーデホテルは、クラシックな感じのホテルで、

とても感じのいいホテルでした。

1990年を迎えた後、ホテルに戻ると

スタッフの方がとても暖かい笑顔で迎えてくれたのが

印象的でした。